【メーサローン】タイ北部のメーサローンで烏龍茶を飲もう【後編】

【前編】から引き続き、メーサローンの烏龍茶について、ご紹介しています。

今回は、メーサローンの烏龍茶の『歴史』に、スポットを当ててみたいと思います。

「祖国愛台湾心」―台湾とメーサローン

今や烏龍茶の一大産地として有名になったメーサローンであるが、メーサローンの烏龍茶の歴史は、実はそんなに古くはない。

戦後、国民党軍たちがこの地への定住を始めたころ、彼らはアッサム茶を栽培していた。その後1980年代に入り、台湾で「タイ北部で辛い生活をしている同胞たちを助けたい」との思いから、台湾政府主導による「泰北成立工作団中華救助総会」が発足され、この地における電気・水道などのインフラ整備や大規模な農業指導などが行われた。

その時に「台湾と気候が似ているメーサローンでは、台湾の品種が栽培できるはずだ」と台湾製の烏龍茶の種や苗木が持ち込まれて各地で栽培され、こうして烏龍茶は一気にメーサローン全土に広まった。

町の西側に「泰北義民文史館」という建物があり、ここでは当時の泰北成立工作団の活動の歴史を振り返ることができる。「泰北」とは、タイ北部という意味だ。台湾風の壮麗な庭園には、工作団の団長であった龔(きょう)承業氏の銅像が建てられている。

敷地内には3つの建物があり、向かって正面が、国民党軍人たちの位牌が立ち並ぶ「英烈記念館」、左が「戦史陳列館」、右がお茶をはじめとする町づくりの歴史を紹介した「愛心陳列館」となっている。

また、市場裏の山頂にある「メーサローン・リゾート」にも、当時の台湾政府の業績を顕彰する記念碑と記念館があり、ここを紹介した日本の新聞記事のコピーが展示されている。

1980~90年代の草創期を担った壮年たちの多くは、現在すでに現役を引退しており、草創期を知る人はほとんどメーサローンには残っていない。

今回の取材に応じてくれた盧瑞銘氏は、現在メーサローンに残っている数少ない移民一世の一人だ。盧氏は、まだ30台のときに台湾から苗木を持って移住してきた。試行錯誤を繰り返し、一代で地区内有数の茶屋にのし上げた。その後もずっと現役で茶を作り続け、タイのお茶メーカー大手である「オイシ」や「イチタン」などへも出荷している。

メーサローンの未来を担う移民二世たち

現在のメーサローンを引っ張っているのは、初代の意志を受け継いだ若き二代目たちだ。彼らは先人たちの知恵やノウハウ、マーケットを十分に駆使しながら、新しい可能性に挑戦し続けている。

盧瑞銘氏を「師父」とあがめる若き青年リーダーの廖(りょう)さんは、メーサローン生まれのメーサローン育ち。まだ30歳の若さながら、茶に関する豊富な知識を持ち、一族の棟梁として、広大な茶畑と果樹園を切り盛りしている。

279号でも紹介した「旭光醤油」も、廖さんの一族が経営している。「旭光醤油」の女主人である張さんはミャンマーで生まれ、幼いときに両親に連れられて移住した。両親が始めた茶畑を元手に、ハチミツや醤油などもすべて自家ブランドで製造、販売している。

新生旅館の坂の真下にある、「新時代ベーカリー」の鄭さんは、ミャンマー出身の両親のもと、ここメーサローンで生まれ育った移民二世だ。

今から5年ほど前に自宅を改造してベーカリーカフェを開いた。焼きたてパンが食べられる店ということですぐに評判となり、焼いたその日のうちにほとんど売切れてしまう。パンは他の地区へも出荷されており、1日に千個以上を売るというから驚きだ。

同じエリアには、乾季の夕方だけ売るという、期間限定の焼き餅屋がある。お餅を焼くのは、同じくミャンマーからの移民二世、譚さん。

日本語学科の学生か卒業生が書いたと思われる「もちです」の看板が妙にかわいくて印象的だ。黒いもち米でこねたお餅に、サトウキビとゴマで味付けをする。冬は10℃前後まで気温が下がるメーサローンで、七輪で焼くアツアツのお餅はまさに感動の一品だ。

喫茶店やホテル経営など幅広いビジネスを手がける「鴻福名茶」の女主人も移民二世性だ。妹婿が日本人で、店では日本直伝の梅干しが売られている。現在メーサローンで梅干しを作っているのはここだけだ。

羅城茶房の二代目のピンさんは、自ら「プーサローン」というブランドを立ち上げ、自家製のマルベリー・ワインをプロデュースしている。

バンコクでデザインの勉強をしていたピンさんは、自社ブランドのラベルや看板もすべて自分でデザインした。縁起の良い漢字の「發」と発音が似ていることから、ワインのラベルは「8」をあつらったデザインになっている。マーケットはフェイスブックを活用して自ら開拓し、バンコクなど各地へ出荷している。

また、メーサローンは烏龍茶ばかりが注目されがちだが、コーヒーの一大産地でもある。そこでコーヒー屋をメインにしてお茶をサブにする、という店もちらほら現れ始めた。

土産物街のど真ん中に店を構えるコーヒー屋、その名も「本地珈琲」を経営する李さんと楊さんの夫婦は、地元メーサローンの小学校の幼馴染み。

当初は両親から受け継いだ茶屋の経営をしていたが、「競合店が多すぎるため、店頭販売ではお茶以外の何かが必要だ」と模索し、コーヒー栽培を開始。店頭の外装も、お茶屋ではなくあえてコーヒー屋にした。コーヒーは、毎日必要な分だけを自家焙煎し、主人の李さん自ら淹れるというこだわりようで、店には観光客だけでなく、地元の人も多く訪れている。

彼ら二代目に共通しているのは、みな初代がお茶屋で功成り名を遂げた家であるという点、そしてその功績に甘んじて立ち止まることなく、前へ進み続けている、という点だ。その情熱が、多くの人を惹きつけてやまないメーサローンの魅力の核となっているのかもしれない。

技術と知識は、世代を重ねて熟成される。二代目が切り拓いた新たな道は、三代目、四代目が継承し、これからもメーサローンの進化は休むことなく続いていくことだろう。

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