さて、前回からアカ族の若者の改名手続きについて、お話しをしています。
第2回となる今回は、
ということについて、お話しをしていきます。
たった1つのシンプルな答えは、このコラムでもたびたびお話ししているとおり、
「タイ族への憧れ」です。
彼らの多くは、アカ族風の名前を時代遅れで、ダサいものと感じ、
タイ人風の名前を、「先進的でカッコいいもの」と感じているのです。
ためしに、アカ族の若者に出会った時、名前を聞いてみてください。
高校生くらいであれば、おそらくほぼ100%の子が、「タイ風の名前」のほうを答えるはずです。
もしもアカ族の名前を聞きたいと思ったら、さらに一歩突っ込んで、
「家で親から呼ばれているアカ族の名前は何?」
と、聞き直さないと、教えてくれません。
山の子供にとってみれば、
「タイ族の名前のほうが良い」
と感じる場面は多々あります。
例えば、、、
小学校で、タイ族とアカ族とが混在しているようなクラスに「アミー」のような100%アカ族の名前を付けられた子供がいたとします。
するとこの子は、心無い教師やタイ族の子供たちから、「異民族」として扱われてしまうことになります。
幼少期にこういう経験をした子は、かなりの高確率で「タイ風に改名したい」と願うようになり、
やがて自分で役所へ行って、改名手続きをします。
反対に、タイ族風の名前がついていれば、ある程度まで同化することが可能です。
幸い(?)、タイ族と、山岳部の少数民族とは、顔も似ているため、きれいなタイ語さえ話していれば、異民族だとはバレません。
ということなのです。
以上が、改名によって得られるメリットです。
……と、このような状況を見ていくと、
彼ら山の子供たちが成長して、タイ人の名前を名乗ろうとするのも、仕方ないことなのかもしれません。
でも、少数民族の人たちを愛し、敬意を払っている私たち外国人の立場からすると、、、
この状況は、若干「寂しい」ような気もしますよね。
(つづく)