トイレットペーパーなんて無くてもタイの村では余裕で生活できる、という話

2020年、新型コロナウィルスの流行に伴い、

トイレットペーパー買い占めのニュースが世間を騒がせていましたね。

でも、僕の住むアカ族の村では、トイレットペーパーなんてものはそもそも使っていません。

おそらく、村全体で見ても、

家にトイレットペーパーがある家は、数えるほどしかないんじゃないかな、と思います。

トイレットペーパーなんて無くても……

そして、我が家もご多分に漏れず、

トイレットペーパーを「持たない側」に属しています。

これは誇張でも何でもなく、、

僕はこの10年、トイレットペーパーなんてものを一度も買ったことがありません。

でも、それで不自由を感じたことはありません。

手動ウォシュレット

トイレでは、皆さんもご存知の通り、、

東南アジア伝統の「手動ウォシュレット」で洗い流しますから、

なんならこっちの方が紙なんかよりもよっぽど清潔になります。

指やテーブルなどを拭く時は、布巾(着れなくなった子供服など)を使えばOKです。

また、鼻をかむ時は、

鼻にフンッと力を入れて、地面に鼻水を捨てる手鼻(てばな)というやり方があります。

指についたら、水で洗えばいい話です。

なので、

そもそも僕はこの十年のあいだ、トイレットペーパーが必要だと感じたことすらないのです。

これは僕だけでなく、うちの村ではほぼ全員がそういう暮らしをしています。

彼らは一体何をしているのか……

こうした環境に身を置いていると、、

トイレットペーパーごときのために血相変えて走り回っている姿は、

まるで異世界の出来事というか、本当に滑稽です。

挙句の果てに、トイレットペーパーを高額で転売している人までいるというのですから、

ご先祖や子孫に対し、じつに恥ずべき行為だと思います。

こういう人は、トイレットペーパーを転売したお金を子供に見られても、

何も恥ずかしくないんでしょうね。

もはや思考停止

そもそも、

今回の日本人たちの行動は、軟弱を通り越して、思考停止状態に近いと感じます。

モノがないなら、ないなりに工夫すればいいのに。

じっさい、昔の人はそうやって暮らしていたと思います。

でも、現代は、多くの人がそういった創意工夫ができなくなっています。

村にはそもそもモノが無かった

伝統的な少数民族の村で暮らしていると、

「モノ」が全く増えていかない生活、というものを体験することができます。

今でこそ、村にも電気が来るようになりましたが、

僕が来た頃はまだ電気もなく、家具もほとんどなかったので、あらゆるものを自分たちで調達していました。

竹を編んで家具を作り、山菜を食べ、渓流の水を沸かして飲む生活です。

でも、それで全く問題ないどころか、十分快適な暮らしだったんです。

今でこそ、我が家も家具が増えましたが、

当時の暮らしに戻れと言われれば、いつでも戻れます。



そのころの村の暮らしから考えると、、

トイレットペーパーごときのために、奪い合い、人をだまし、

そして、恥や名誉、人としての誇りまで捨ててしまうなんて、

本当に愚かで、もったいないことだと思います。