『オカマ大国』タイでも、LGBTに対する差別があるって本当?

タイ オカマ LGBT セクマイ

タイは、言わずと知れた「オカマ大国」です。

タイ全土でオカマの密度はかなり高く、感覚としては、

「学校の1クラスに1人以上、
 必ずオカマまたはオナベがいる」

と言っても、過言ではないほどです。



「クラスに1人以上」というと、けっこうな密度ですよね。

実際、タイの街を歩いていると、

それくらいの高い頻度でオカマやオナベを目にします。

、、、と、こういう話を聞くと、

「タイはさぞかし、LBGT(性的少数派)に対して寛容な社会なのだろう。

 タイのLBGTの人たちは、きっと十分な権利を享受できているのだろう。」

と、考えるかもしれません。

しかし、

「そうは問屋が卸さない」というのが、今回のニュースです。

今回は、「オカマである」というだけの理由で差別された、とある「踊り子」のニュースを、ご紹介します。

以下、地元ニュースからの翻訳
↓↓

5月10日、ネットユーザーがフェイスブックに投稿した「オカマへの性差別」の記事が物議を醸している。

葬式会場での火葬の際、オカマのダンサーが登場し、炎の前で踊る、という出し物が行なわれたが、

葬式の司会者が「不適切である」と言ってこれを制し、オカマのダンスをやめさせた、という内容だ。

これは、「オカマへの性差別に当たる」として、フェイスブックは一時炎上した。

反対派は、葬式でのオカマのダンスを禁止する論拠として、過去の仏典を紐解き、

「大昔、インドのベナレスの王様の葬儀では、処女の踊り子が踊りを捧げた。

 これは、死者が天国へ赴くためである。

 オカマの踊り子では、死者は天国へ行くことができない」

と主張した。

これに対し、オカマの踊り賛成派は、次のように反論。

「仏陀は本来、絶対的な平等主義者である。

『オカマを踊らせてはいけない』などとは言っていないはずだ。

 後世の者が勝手にしきたりを作っているに過ぎない。

 こうした後世のしきたりを、まるで仏陀の意思のように主張するのはおかしい」

「処女とはあくまでも、『穢れなき者』の比喩であって、

 生物学的な処女のみを指しているのではない。

 純粋の信仰心を持つ者であれば、オカマであっても当然、葬儀の場で踊る資格がある」

等々、様々な主張が飛び交った。

その後、マスコミがこのオカマのダンサーに取材を行なったところ、

「これまでから何度も葬式で踊りを披露してきたが、このような言われ方をしたのは初めてだった。

 とてもショックだったが、傷口は癒えたので、今はもう気にしていない」

等と話してくれた。



現在、この問題について、

世論は「オカマの踊り子も容認すべきである」との方向に収束しつつある。

彼女はその後も、順調に仕事が入ってきているようだ。

、、、というニュースです。

「オカマ大国のはずのタイで、
 オカマが性差別を受けている」

なんだか、意外な感じですよね。

でも、事実です。

タイでオカマは差別されている

タイの社会は、オカマの「人数」が多く、オカマに対して「寛容」であるのは確かですが、

その一方で、「オカマを一段低く扱う」という土壌があるのは否めません。

そもそもタイは、
かなり厳格な身分社会です。

日本などよりも、はるかに根強い、身分差別があります。

そのため、上記のような仏教の神聖な場や、公式の場においては、

オカマに対し、あからさまに差別対応をすることがあります。

つまり、
タイという社会は、

「オカマの数は多いものの、
 差別自体は根強く存在している」

と、言えます。



今回のニュースは、まさにそうした差別の状況を、象徴しています。


一見すると、オカマへの差別などないように見えるが…

タイ人は外づらが良いため、いつもニコニコしながら、

「マイペンライ、マイペンライ」
と言います。

しかし、内心では、、、

根強い差別の心を持ち、
平然と相手を差別することがある、

ということなのです。

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「世界一美しい」と評判のタイのオカマたち

差別自体は昔からあった

これまでは、たとえこうした「オカマ差別」があっても、

特にニュースなどで取り沙汰されることもなかったので、外国へ知られることもありませんでした。

しかし近年は、

インターネットやSNSの普及により、「差別された!」という投稿がしやすくなっています。

すると、

「差別、許すまじ!!」と、一瞬で拡散されて、全国で話題になる、ということなのです。

こうして、タイにおける「オカマ差別問題」は、国の内外へと知られていくことになります。

、、、以上、今回は、
「タイにはオカマ差別がある」のお話しでした。