先日私は、アカ族の子供たちが多く通う地元の中学を、訪れる機会がありました。
タイの少数民族の教育事情は、今なお、問題が山積しています。
今回は、私がその時に見聞きした、日本の常識からはちょっと考えられない、タイの山間部の教育の実態について、ご紹介してみようと思います。
(写真は、タイの山村の小学校の卒業式。花束とぬいぐるみを贈呈して記念撮影をするのがタイ式。生徒は、ラフ族とアカ族のみ)
山村は子供の数が多い
タイの学校は、5月から新学期です。そのためこの時期は、どこの村でも、親も子供も、入学や進級の話題で持ち切りとなります。
この日、私が訪れた中学には、中学1年生が、1組から5組まで、全部で5クラスあります。
と、ここまで聞くと、「5クラスもあるなんて、さぞかし村の学校は子だくさんなんだな」と、考えますよね。
タイは現在、すでに女性一人当たりの出生率が2人以下まで落ち込んでおり、バンコクなどの都市部では、1人っ子の世帯も少なくありません。
深刻な少子化は、タイ全土で進行しているのですが、こうした傾向とは対照的に、山村は子供の数が多いです。
よく「貧乏人の子沢山」と言われますが、国内の最貧困層に属する少数民族たちは、
おおむね、子供の数が多いです。
私が住んでいるアカ族の村でも、子供の数が3人以上、という世帯はザラです。
そのため、一般のタイ人の中学よりも、山の中学の方が、マンモス校だったりします。
中1の生徒数だけがやたら多い理由
上記のような事情から、「1学年の子供の数が多い」というのは、タイの山間部ではよくあることなのですが、今回私が驚いたのは、そのことではありません。
私の村の中学では、1年生は5クラスなのですが、2年生は、
なんと2クラスしかありません。
このことが、意味するものは何か。それは…
「学年の半分以上が留年している」
という、おどろくべき事態です。
山村の中学では、学年の半分以上が留年している
つまり、昨年度の中学1年生は、今年中学2年生に進級することができず、今年ももう一度、中学1年生をやり直さなければいけないんです。
そのため、「中2は2クラスなのに、中1は5クラス」という、非常にアンバランスな学年構成になってしまっているんです。
私の住んでいるアカ族の村にも、「もう5年以上も中学に在籍している」という少年がいます。
中学に5年も在籍した少年が、将来、いったいどのような人生を歩むのか。
非常に心配になってきますよね。
この問題は、単に「地方の子供の学力不振」だけでは終わりません。
「中学で留年は普通」という空気ができてしまうと、
「留年しないためにはしっかり勉強しなければいけない」という気運も、なかなか高まりにくくなります。これにより…
勉強しない
↓
学力が落ちる
↓
周囲も巻き込まれる
↓
本人も、周囲も留年
↓
危機感がなくなる
↓
勉強しない
(始めに戻る)
という、悪循環に陥ってしまいます。
就学率は高いが、留年率も高い
中学1年生を繰り返している少年の他にも、中2のまま成人しそうな少年、小学2年生を3回繰り返した少女もいます。
なぜ、このような事態になってしまうのか。
それは、とりもなおさず、
「外枠だけ整えて、中身を整えない」
という、発展途上国に特有の原因によるものです。
海外の財団は就学支援に力を入れるが…
20世紀の終わりごろから、海外の財団などがタイを訪れ、
「山の少数民族の子供たちを、学校へ行かせよう!」
という活動を行ってきました。
また、こうした動きを受けて、タイの政府も、僻地への初等教育の普及に、力を入れてきました。
その結果として、タイは、発展途上国では随一と言われるほど、就学率が高くなりました。中学入学は、9割以上です。
しかし、外枠だけを急ピッチで進めすぎた結果、肝心の、「学校は勉強するところである」という点が、おざなりになってしまったんです。
そして、冒頭でご紹介した、
「村の子供が、中学に入ることはできたものの、中2に進級できない」
という、問題が起きているんです。
なぜ、山の子供は留年してしまうのか
そもそも、タイの山間部でここまで教育が普及したのは、ついここ数年、21世紀になってからのことですから、
子供たちの親、つまり、1,970年台以前の生まれの少数民族の人たちは、そもそも学校にも行ってないし、タイ語も話せません。
こうなると、その子供たちも、家で勉強するという習慣も身につかず、さらに、子供は親に宿題の質問ができない、という状況になります。
こうして、勉強ができなくなった子供が、再びできるようになる可能性が、天文学的に低くなってしまうんです。
教育に対する考え方の違い
さらに、タイという国全体における、「教育に対する考え方」という問題もあります。
タイに限らず、発展途上国では、「学歴=給料」という発想が、往々にしてあります。
かつては、日本もそうでした。
しかしタイには、就職などをせずとも、「先進国へ出稼ぎに行く」という選択肢があります。
出稼ぎは、中卒でも雇ってもらえますから、学歴は関係ありません。
こうなると、中卒で出稼ぎに行った方が、大卒で小さな企業に就職するよりも、生涯年収が高い」という状況がおきます。つまり…
「大企業に就職できるわけでもないし、中卒で出稼ぎにも行けるのに、なぜ一生懸命勉強しなくちゃいけないの?」
てなもんです。
勉強しなくても生きていける土壌
それに、タイはもともと、法律ギリギリの職業も多く、そういう職業では、初めから学歴などは関係ありません。
これに加え、特に女子の場合は、
「美人は金持ちと結婚すれば、一生不自由なく食べさせてもらえる」
という、伝統的なタイの結婚観があります。
事実、顔立ちの良い女の子であれば、中卒の時点でもいくらでも仕事があり、早々に結婚して、主婦業に落ち着きます。
こうなると、いくら「学校に入学させる」という制度だけを拡充したからといって、
そこで子供たちが勉強をするとは限らない
ということなんです。結果として…
「中学に入ったものの、中2に進級することができない」
という事態になってしまうわけです。
まとめ
いかがでしたか。
今回は、「山村の子供たちの留年」という問題にスポットを当て、「なぜタイの山村ではここまで留年率が高いのか」という理由として、
●親がタイ語の読み書きができない。
●学歴が関係ない職種が圧倒的に多い。
●「就職よりも出稼ぎ」という風潮がある
●「金持ちとの結婚」というサクセスストーリーがある。
●そもそも勉強の価値を、タイや外国の大人たちが説明できていない。
…などの理由を、ご紹介してきました。
海外の財団の多くは、「少数民族の児童の就学率アップ」という点に、非常に力を入れています。
しかし、大事なのはその先、つまり…
「何のために勉強するのか」
「勉強したらその先どうなるのか」
ということではないでしょうか。
そして、山の子供たちにこういうことを教えるのが、大人の本来の役割だと思うわけです。