人が死後にあの世へ行くなら、なぜあの世は死者の霊であふれないのか

「あの世なんて、存在しない」
「人は死んだら、それで終わり」

という人の多くは、おおむね、次のようなことを、論拠していることが多いです。

「人が死後にあの世へ行くなら、なぜ、あの世は霊であふれないのか」

と。

つまり、有史以来、数え切れないほどの人が死んでいるのに、

「死者が全員あの世にいたら、あの世はどんどん死者であふれてしまうじゃないか」

というわけです。

今回は、この世とあの世の関係性について、
少しお話をしていきます。

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「人が死後にあの世へ行くなら、
なぜあの世は、霊であふれないのか」

と、このように考える人は、ある1つの「思い込み」をしています。

それは、

「あの世が最終ゴールである」という、思い込みです。

つまり、

「あの世が最終ゴールなんだから、そこへどんどん死者が行ったら、あの世はパンクしてしまう」

という発想です。

でも、

もしも、

あの世の先に、
まだ続きがあるとしたら…??

あの世の続き、つまり、死者が、あの世からさらに、また行く先があるなら……

霊は各自、あの世から、次の行き先へ向かうだけですから、

別に、あの世は、霊であふれたりはしないですよね。

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では、実際はどうなっているのでしょうか。

結論を先に言うと…

人は、死んだあと、あの世で「生まれ変わり」ます。

そして、あの世で生きたあと、

あの世でまた死を迎え、

そのあと、またこの世に生まれ変わります。

これが、霊の転生のサイクルです。

つまり、多くの人が考えている、「あの世では死なない」っていうのは、勘違いなんです。

あの世での一生が終われば、当然、あの世で死にます。

そしてまた、この世に生まれてきます。

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ですので、

「死者は、あの世で、死んだままの姿でいる」

というのも、勘違いです。

あの世で、死者はまた別の肉体で生まれ変わり、

「あの世での、新しい一生」

を送ります。

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ひょっとしたら、

これを初めて聞いた人は、意外に思われるかもしれません。

そこで、
私がこの「転生」のシステムの存在に納得した、あるエピソードを紹介します。


ふだん、私のもとに頻繁に現れる、1人の霊がいます。

私は、その人(仮にAさんとします)に生前お世話になっていて、

Aさんの霊が現れるたびに、「ああ、Aさん」と、挨拶をしていました。

あるとき私が、Aさんの共通の友人である、アカ族の人と同席していた時、

また、いつものようにAさんの霊が現れました。


すると、そのアカ族の友人は、「ああ、Bさん」と、全く別の名前で呼んだんです。

それで私は、

「えっ、Bさん? 彼は、Aさんの霊じゃないのかい?」

と、彼に聞きなおしました。


すると彼は、

いや、Aさんは、もうすでに、あの世で新しい一生が始まっているんだ。

あの世での、新しい両親や家族もいる。

Aさんが、あの世で生まれて、新しくつけられた名前は「Bさん」なんだよ。

と言った、というエピソードです。

…私は、この話を聞いたとき、

「ふむ、なるほどー。
それなら、何も矛盾はないよなぁ」

と、すっかり納得できました。

多くの人が「不可解なもの」と考えている、「死後の世界」というものが、

ストンと腑に落ちた感じでした。

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よく考えたら、

Aさんが、ずっとAさんの姿のままで、死後の世界にとどまっている、という考えの方が、

よっぽど理不尽ですよね。

「エントロピー増大の法則」を持ち出すまでもなく、

宇宙の全てが無常なのに、あの世だけが永遠に不変である、というのは、やっぱり、おかしな話です。

それこそ、あの世は死者であふれてしまうでしょう。

でも、そうではなく、

この世での一生が終わったら、
あの世で生まれ、
あの世でも、
同じように年をとり、

あの世でも死を迎え、
あの世で死んだら、
また生まれ変わって、
この世に戻ってくる…

これなら、何も矛盾はなく、

むしろ、生と死を永遠に繰り返すことができる、非常に合理的なシステムだと思えるわけです。

私は、

Aさんの霊が現れたときは、ずっと、生前の名前の「Aさん」で呼んでいたんですが、

Aさんにしてみれば、すでにBさんとしての一生が始まっていますから、

「Bさん」と呼ばれたほうが、しっくり来るのかもしれません。

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また、

故人が、すでにあの世で「生きて」いるのなら、

私たち生者は、その死を悲しみすぎる必要はないですよね。

むしろ、いつまでも死を悲しんでいないで、

「あの世での彼の幸せを願う」ことのほうが重要である、と言えます。

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また、今回の話に関連して…

巨匠、手塚治虫先生の名作の1つに、『日本発狂』という漫画があります。

『日本発狂』では、こうした「あの世の仕組み」がテーマになっていて、

同じように、「この世とあの世を行き来するシステム」が、描かれています。

特に、手塚治虫先生の、こうしたオカルト系の漫画は、「まるで本当に見てきたような」描写が多いですから、

やっぱり、あの世は本当にそうなっていて、手塚先生は、そのことを知っていたのかもしれませんね。

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いかがでしょう。

なんだか、死後の世界に対するイメージも、がらっと変わりますよね。

人は死んで、それで終わりではなく、

あの世へ行って、それで終わりでもなく、

あの世からこの世、この世からあの世、という風に、永遠の生死を繰り返している…

と、このように考えると、

死後の世界の仕組みも、非常にシンプルで、合理的なものに思えてきませんか?