現在、アカ族の多くは、伝統文化を捨て、キリスト教に改宗しています。
それで、うちの村も、
村民の多くはクリスチャンです。
このテーマは、なかなか闇の深い問題も多く、
私も、このブログで、折に触れてご紹介しているのですが、
中でも私が「最も矛盾である」と感じているのが、
「牧師が教会周辺の土地を買う」
という行為です。
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では、順を追って、
お話をしていきます。
日本だと、どうなのか知らないんですが、
タイの場合、牧師は、「中央からの派遣制」です。
派遣制とはつまり…
まず、牧師には、中央から給料が出ています。
そして、アカ族の牧師が、地元以外のよそからアカ族村へやってきて、村の教会の牧師に就任し、
数年間の「任期」のあいだ、牧師を務め、任期が終わったらまたよそへ行く…
という、公務員のようなシステムです。
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しかし、
任期のあいだに、情が移ったり、牧師が村民と仲良くなるケースも多く、
この場合は、「任期の延長」が認められています。
このため、うちの村の牧師も、村にどっぷり浸かっていて、もうすでに十年以上います。
うちの家族とも仲が良く、他の村民からもそこそこ慕われていますから、おそらく、今後もずっと牧師を続けると思います。
まぁ、そのこと自体は、特に問題はないんですが……
しかし今回、
この牧師が、「教会周辺の土地を買う」という行為に至ったことで、
私は、「あれっ?」と、
不審に感じているわけです。
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まず、
あくまでも、牧師は「雇われ」で、任期も定年もあります。
「うちの村で一生根を張る」というのは、この牧師が勝手に決めたことです。
牧師はあくまでも「サラリーマン」ですから、中央の意向には逆らえません。
もしも、「異動の辞令」が出た場合は、
うちの村を出て、別の村へ行かなくてはなりません。
でも、こうなると…
別の新しい牧師がうちの村へやって来ても、今の牧師が村に住み続けているわけですから、当然、「変な感じ」になりますよね。
実質的には、今の牧師が、「陰で牛耳る」みたいになってしまいます。
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牧師は、ビジネスを手広く展開し、村の土地も買って、影響力を持ち始めています。
これがエスカレートしていくと…
「教会が『個人所有』のようになる」
という点が、危惧されます。
たとえば、
この牧師が、うちの村の土地に投資をし続けて、
もしも、教会周辺の半径数キロの土地を得たとしたら…?
こうなると、たとえ形式的には、教会がタイキリスト教会の所有であっても…
実質的には、「個人所有の教会」のようになっていきます。
少なくとも、村民の目にはそのように映ります。
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しかも、
タイはもともと、公私混同が普通ですから、
役人が地元の民間と癒着して、その土地の有力者になっていく、というのは、日常茶飯事です。
最悪の場合、今の牧師が、
「中央から分離して、新たに自分の教会を作って、独自に運営する」
なんてことも、十分可能です。
というか、現時点で、すでにそんな感じになっています。
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実際のところ、
この牧師が、教会の外でビジネスをして得ているお金は、教会の給料をゆうに上回っていますから、
たとえ牧師を「解雇」されても、十分暮らしていけます。
また、村民にはそんな人事の話は分かりませんから、
この牧師は依然、「地元の有力者」「宗教指導者」として、うちの村で、ビジネスをし続けることができます。
でも、そもそも……
教会というものは、「宗教施設」なのですから、「宗教」でまとまるべきであって、
「人を見て、人を中心にまとまる」というのは、最もやってはいけないことです。
「人の教えではなく、神の教えに従いなさい」
と、聖書にもちゃんと書いてあります。
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本来であれば、
中央のタイ教会が、牧師の任期中の「身分や商行為」などを、制限しなくてはいけません。
「あくまでも、サラリーマンなんだぞ」と。
なので、牧師は「副業禁止」「土地購入禁止」を徹底しないとダメだと思います。
理由は、これまでからお話ししている通り、
「副業と土地購入」がエスカレートすると、その地域での「影響力」を持ってしまうからです。
これは、本当に「まずい」ことです。
でも、タイではそういう理屈が通用しないので、
公務員も、副業が当たり前。
そして、
牧師もせっせと副業をし、少しでも金を持つと、土地を買おうとします。
こうして、牧師でありながら、教会以外での影響力が、高まってしまうわけです。
(つづく)