タイ最北部、チェンライ県の少数民族村の牧師たちは、
いくつかの「特典」を受けることができます。
その1つは、なんと、「病院の医療費が無料」というものです。
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チェンライで最も高額な病院として有名な、
「オーバーブルック」という私立病院があります。
これは、海外のキリスト教会の資金で、建てられたものです。
そして、タイ国キリスト教会の牧師、およびその家族は、
なんと、この病院を「無料で使い放題」という特典があります。
……と、このように書くと、
「山では、医療費がなくて困っている人たちがいるのに!」
という話をするのか、と思われるかもしれませんが、
今回、私が言いたいのは、そこではありません。
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私が気になっているのは、このシステムによって、
「教会の牧師の家族が、
病院漬けになってしまう」
という点です。
他の記事でもお話ししているように、
タイをはじめとする発展途上国では、「病院信仰・薬信仰」が根強くあり、
「良い病院で良い薬をもらうのは、良い事」
という考え方があります。
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アカ族村も、こうした時流にかなり影響されていて、
現在、少しでもお金に余裕が出た人は、せっせと、医療費にお金をつぎ込みます。
……でも、本当は、山で自然の暮らしをしていたら、
めったに病気になんてなりません。
その証拠に、
1970年代以前の生まれのアカ族は、そもそも病院なんてものに、行ったことすらないのですが、
足腰も強く、健康そのものです。
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しかし、村の教会の「代表」である牧師が、
「医療費免除」の特典を得て、病院代が無料になり、
牧師とその家族が薬漬けにされてしまうと……
村の人たちはそれを見て、
「我々も、もっと薬を飲みたい!」
「病院へ行けることが幸福な人生だ!」
「お金を貯めて、良い病院へ行きたい!」
と、考えるようになります。
「そんなバカな」
と思われるかもしれませんが、
マジな話です。
これは、まさしく「病院信仰」です。
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この感覚は、おそらく現代の日本人には理解しがたいものかもしれません。
なので、上記の「病院」という言葉を、
「薄型テレビ」や「高級車」などに置き換えると、分かりやすいかもしれません。
要は、
ということです。
村の有力者である牧師が、この「ぜいたく品」を率先して得てしまうと、
村人も、それが「良い事」だと考えて、
大した病気でなくても、「我も我も」と病院へ行くようになり…
病院信仰は、ますます強くなります。
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こうして、山の人たちも、薬漬けに歯止めがかからなくなっていきます。
タイの一般庶民は、すでに多くの人が薬漬けにされ、薬なしで生きられない体になっています。
山の牧師も、しかりです。
まだ30~40代の若い牧師が、ほぼ毎月、毎週のように、何かしらの用事で病院に通い、
彼らの自宅の冷蔵庫には、大量の薬が保管されています。
無料で、しかも快適だから、何度でも病院へ行ってしまうんです。
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でも、神の道を教える聖職者であるなら、
本来は…
「健全な精神は健全な肉体に宿る」的なことを、村人に教えていくべきだと思いませんか?
「薬なんて要らないぐらい健康」
という状態が、本当は一番良いですよね。
というか、
一昔前まで、山のアカ族村では、
「薬なんて飲まないけど、平地の人より健康」
というのが普通だったからです。
実際のところ、
今のアカ族は、山の70代の人の方が、都市部の30代より健康だったりします。
また、あまりにも大量の薬を飲まされすぎて、具合が悪くなったときに、
「何の薬の副作用なのか分からない」
なんていう、おかしな事態も発生しています。
「医者不足」よりも、「薬過剰」のほうが、よっぽど危険信号なのです。
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「牧師が、病院漬けの姿を村人に見せて、病院信仰をさらに助長する」
なんていうのは、健全な肉体という観点から言えば、
「まるで逆のこと」だと言えます。
こうして、肉体的に不健康な牧師が増えて、村人も感化され、
タイの山岳部における「病院信仰」「薬中毒」は、ますます強くなっていく……
というわけです。
(つづく)