「良かれと思って」というフレーズを、日本人は好みます。
良かれと思って、忠告した
良かれと思って、親切にしてあげた
などのフレーズです。
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これは、日本で今流行りの「忖度(そんたく)」にも通じるものがあります。
「忖度」とは、
「相手が望むことを、してあげる」
「相手が望むであろうことを、してあげる」
「相手にとってプラスになるであろうことを、してあげる」
…というような意味です。
しかしこれは、日本人独特のものです。
いずれも、相手のため、というのがベースになっていますが
「相手に良かれと思って」という考え方は、海外にはない、
ということを、知っておく必要があります。
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日本以外の大陸諸国では、基本的に、
「自分の運命はすべて自分が責任を持つ」
「他人の運命には、関与しない」
というようなところがあります。
そのため、「相手に良かれと思って」という発想が、そもそもありません。
タイも同様で、タイ語には、
「良かれと思って」
というフレーズが、ありません。
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礼節や遠慮、貞淑など、日本人とよく似た価値観を持っている、アカ族であっても、
この点だけは、大陸寄りです。
「相手の人生や、人格に関するようなことには、口を出さない」
というルールが、アカ族の村でも、かなり厳格に守られています。
日本人に比較的近い、アカ族でさえこうなのですから、
基本的には、日本以外のほぼすべての国では、
「良いも悪いも全て自分持ち」
という考え方が主流だと思っておいて、間違いないでしょう。
そのため、
「良かれと思って」
「忖度しました」
などのフレーズが通用する国は、おそらく日本だけなんです。
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海外では、
「相手に良かれと思って」という発想は、通用しないのですが、
しかし、これは必ずしも、「悪いこと」だとも言い切れません。
「相手にとって良いことかどうかは、本人が判断する。
他人が、口出しをすべきではない」
という諸外国の考え方は、ある意味では、「真理」だからです。
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例えば、
嘘をつき続ける人間がいたとします。
日本人であれば、親切な友人が、
「そんなことをしていると、いつか友達が、みんな離れていってしまうよ」
と、忠告をしたりしますよね。
しかし、海外にはこの発想はありません。
「嘘つきは、自分でいずれ罰を受けるのであるから、他人が無理に直してやる必要はない」
というのが、海外の発想です。
これはこれで、真理をついています。
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実際のところ…
嘘をつき続ける人間は、誰が忠告をしなくても、
いずれ自らが、相応の罰を受けます。
●人に信用してもらえなくなる
●大切な友人が、みな離れていく
…などです。
結果として、
「嘘はいけない」と気づくか、
あるいは、
それでもなお、嘘をつき続けて、地獄に堕ちるか、
いずれであっても、
本人にとっての「最適の結果」がもたらされます。
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すると、結局のところ、
嘘をつき続ける友人に対しては…
「放置しておくのが、一番本人のためになる」
ってことになります。
「嘘は良くないよ」なんて忠告をしたところで、
虚言癖のある友人は、聞こうとしません。
そもそも、そんな忠告を聞けるぐらいなら、初めから、虚言癖になんてなりません。
つまり、言っても言わなくても、結果には大差がなく…
要は、「言っても仕方ない」んです。
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もちろん、相手の問題点を放置しておけば、
さらに深刻な事態を招いて、友人が地獄を見ることもあり得ますよね。
先ほどの例で言えば、
「虚言癖が高じて、警察のお世話になってしまう」…
というようなケースです。
しかし、海外の場合は、たとえそうなったとしても、
「それは本人の責任だからしょうがない」
と、割り切るのが普通です。
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「良かれと思って」忠告なんてしてみたところで…
相手からは「反発」されるのがオチです。
相手はあなたの忠告に反発し、警戒して、敵意を抱くようになります。
こうなると、こちら側にはマイナスしかありません。
また、忠告したことによって、
「相手はさらに意固地になる」
というケースも、往々にしてあります。
つまり、「良かれと思って忠告する」という行為は、
誰にとっても、良い結果にはならず、
「放っておけば良かった」
ということの方が、世の中には、多かったりするわけです。
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日本以外の諸外国では、「良かれと思って」という発想自体がそもそも無いのですが、
これはこれで、なかなか「理に適っている」とも言えるわけです。
世の中には、「良かれと思って」が、通用しないことのほうが多い…
これは、私が海外生活で学んだことの1つです。