今回は、「タイで理想のボランティアを考える」の第2回として…
「ボランティアの継続性」ということについて、掘り下げて考えていきたいと思います。
タイのボランティア活動は縮小傾向
先日、海外のボランティア財団が、「軒並み活動を縮小している」という件について、お話をしました。
その最大の理由は、途上国の「インフレ」、
そして、先進国の「貧富の差の拡大」です。
慈善財団の多くは、活動内容の違いこそあれ、基本的にはどの財団も…
「先進国からの寄付金で賄っている」という点で、共通しています。
しかし、先進国から途上国への寄付金というものは…
「先進国にはお金に余裕のある人が多い」
「先進国にとっての小額でも、途上国では大きな価値を生む」
というのが前提になっています。
日本で貧困層が増えている
そのため、現在のように、
日本で、貧富の差が拡大していくと…
日本国内でも、寄付金をポンと出せる層は、確実に減少していきます。
むしろ、割合で考えたら…
タイの若者よりも、日本の若者のほうが、生活に困窮している率が高いんじゃないのか?
…って思えるほどです。
極端な話、タイの慈善財団に寄付をした、日本の年金受給者の子供は…
アラサーで、無職かもしれない…ってことです。
そしてもちろん、アラサーで無職の日本人は、寄付なんてできません。
無職の息子をほったらかして、貴重な年金を海外に寄付する…なんていうのは、人道的にもどうかと思いますから、
こうなると、当然、日本で寄付ができる人の数は、減っていきます。
インフレが激しい
また、仮に、日本人の年金世帯の人が、寄付金を出してくれたところで…
タイの物価が年々上昇しているため、寄付金の額が同じだと、価値が目減りしてしまうことになります。
たとえば、ある日本人が、タイの財団に対し、千バーツ(約3,000円)を寄付するとします。
以前であれば、1,000バーツは、タイの田舎で2週間分の生活費に相当しました。
現在では、ほんの4,5日で使い切ってしまいます。
ひょっとしたら、数年後には、「千バーツあっても、1日持たない」
…なんてことも、あり得るかもしれません。
日本円の価値が下がっていく
つまり、たとえ毎年、同額の寄付金を集めることができたとしても…
その寄付金の価値は、タイで年々目減りしていく、ということです。
こうなると、今回のテーマである「継続性」は、かなり心もとない…
と、言わざるを得ません。
継続性とは?
さて、今回のテーマ「継続性」というのは、平易な言葉で言うと…
「ずっと続けていける可能性が高い」という意味です。
でも、現状の、慈善財団の運営スタイルは、果たして…
「ずっと続けていける可能性が高い」と、言えるでしょうか?
これまでからお話ししているように、「完全に先進国からの寄付金に依存している」という状況だと…
先進国で貧困層が増えたり、途上国でインフレが起こってしまうと、簡単に、経営が立ち行かなくなります。
これはつまり、「継続性がない」ってことです。
継続のための努力
それに、普通、会社やお店を起業する時も、「どうすればうまく継続できるか」ってことに、だれでも頭を使いますよね。
というか、それは、経営者として、当然の視点のはずです。
でも、私の見る限り、「継続のための目に見える努力」をしている海外の財団は、極めて数少なく、ほとんどは…
「寄付金があれば、存続できます」
「寄付金が足りないから、存続できません」
ということを、平気で口にします。
前提自体が崩れた
つまり、これらの財団の存続のためには、「経済格差」が不可欠なんです。
逆に言えば、財団の人達は…
「日本はずっと金満国で、タイはずっと途上国だと思っていた」
ってことなんです。
でも、そんなこと、あり得ませんよね。
しかし、残念なことに、現在タイで活動をしている慈善財団の多くは、「日本とタイの経済格差」に完全に依存して…
「タイでこれ以上インフレが進んだら、もう活動を続けられない」
という、ギリギリのところまで来ています。
では、どのようにすれば、ボランティア活動は「継続性」を維持できるのでしょうか。
最も継続しやすいスタイルは?
私がこれまでに見聞きしたところでは…
やはり、タイで活動を行なう以上、タイ人、あるいはタイで活動している外国人の「経営者」が、
自分のポケットマネーで、自分にできる慈善活動する、というのが、結局のところ、一番継続性が高いと思います。
つまり、
富める者が、貧しい者に、直接支援を行なう…ってことです。
全員がダイレクトに経済活動を行なう
こうなると、「中抜き」をする財団は、不要になります。
例えば、経営が上手くいっているタイ人経営者がいて、その人が、「孤児院を支援したい」となったとき…
既存の孤児院に寄付をすることも可能ですが、そうなると、結局…
その孤児院の所有者やスタッフの給料、財団の運営費などが「中抜き」されて、子供たちに渡るのは「一部」ってことになります。
なら、いっそのこと、そのタイ人経営者は、自分で孤児院を作ってしまえば良いのではないか、と思うわけです。
これなら、「有能な経営者」が、孤児院の運営にも携わるわけですから、運営も、維持しやすくなります。
まとめ
タイには、先進国の富豪たちにも匹敵するほどの、巨万の富を得ている経営者が、数多くいます。
こういう人が、独自に慈善活動を行うか、あるいは、特定の活動を援助していく…
という形態が、今後、タイで増えていくと思います。
というか、先進国からの寄付が期待できない以上…
「救貧活動」それ自体が、タイ国内で回さざるを得なくなります。
それに、今は全世界で貧富の差が拡大し続けているわけですから、
「中産階級から1人500円ずつ」
という従来の方法は、もう流行らないと思います。
500円ずつ、1万人から集めるくらいなら…
1人の金持ちを説得して、500万円を出してもらったほうが、よっぽど楽で、募金のための経費もかかりません。
そしてタイには、それができる金持ちが、ごろごろいます。
実際のところ、活動の場はタイなのですから、
「タイ人の富裕層がタイの貧困層を救う」
という方が、本来は、理に適っています。
それに、タイ人は本来、日本人よりも「寄付行為」が好きですから…
寄付金も、日本で集めるよりも、タイで集めたほうが多く集まる可能性もあります。
そして、タイのことはタイ人に任せて、日本の年金受給者は、日本の貧困層の若者に、援助をすればいいと思います。
これが実現すれば、数年後には…
「外国の慈善財団のほとんどは、タイでやることがなくなる」かもしれません。
それではまた。