【タイ ボランティア①】少数民族の子供たちにとっての理想の就学ボランティアを考える【前編】

おかげさまでこのサイトも、「タイ ボランティア」等のキーワードで検索され、

多くの方に読んでいただけるようになりました。

いつも、本当にありがとうございます。

そこで今回は、一度「ボランティア」というものを、俯瞰的(ふかんてき)に眺め、

「ボランティアの本来のあるべき形」というものについて、考えてみたいと思います。

ボランティアに必要な3つの要素

タイでは、様々なボランティア財団が、本拠地を構えて、活動しています。

ざっと思い付くだけでも、

・女性の自立支援ボランティア

・子供の就学支援ボランティア

・エイズで親を失った子供たちのボランティア

・タイ国民IDカード取得支援のボランティア

…などです。

さて、このように、ボランティアをする「対象」の違いはあれど…

「ボランティア」というものに「必要不可欠な要素」というのは、私は、ある程度共通していると思います。
それは…

・再現性
・継続性
・公益性

この3点です。

では、1つずつ、順に見ていきましょう。

再現性があるかどうか

再現性というのは…

「次、別の相手に同じことをしても、同じような成果が期待できる」

という意味です。

これは、どういうことかというと、例えば…

「Aさん」という名の、少数民族の女の子に対して、寄付金で就学ボランティアを行ない、

Aさんは一生懸命勉強して、大学を卒業し、無事、就職できたとします。

こうなると、Aさんへの支援を行ったボランティアは、

「皆様のおかげで、タイの少数民族のAさんは、無事社会へと巣立つことができました!」

…というような、「成功」の報告をするわけです。

成功の原因は?

しかし、ここで、一度立ち止まって考えるべきことは、

成功の「原因」です。
つまり…

「支援の方法が優れていたからなのか」

それとも、

「Aさんがもともと優秀だったからなのか」

ということです。

もしも、前者の、「支援の方法が突出していた」というのであれば…

今後、別の村へ行って、BさんやCさんに支援をするときも、

Aさんの時と同じように、成功を期待できますよね。

これが、「再現性」ということです。

優秀な子にだけ支援する?

でも、もしも後者、「Aさんがたまたま優秀だったから」というのが、

成功の原因の、大半を占めていたとしたら、どうでしょう。

今後も、支援は、優秀な子に対して「だけ」行われ、優秀でない子は…

支援の対象から外れてしまう、あるいは、支援されても良い成果は期待できない…ってことになってしまいます。

でも、こうなると…

ボランティア財団の仕事が、「就学支援をすること」よりも、

「優秀な子供を探すこと」

になってしまうと思いませんか?

実際のところ、就学支援を行なっているボランティア財団の多くが…

「何を支援するか」よりも、

「誰に支援するか」ということに、多くのエネルギーを注いでいる、という現状があります。

支援すべき子と、
すべきでない子とを選定し、

成績表を提出させ、
親の素行をチェックする…

極端な例で言えば、学校のテストで一番の成績を取った子にだけ、支援する…というようなスタイルです。

ほんの一握り

確かに、財団から支援を受けた子供たちの多くは、優秀な成績で高校を卒業して、大学へと進学しています。

でも、それって、本当に「一握り」なんです。

割合で言えば、千人に一人、0.1%にも満たないような、選りすぐりの優秀な子です。

それ以外の、圧倒的多数の「優秀でない子供たち」は、支援の枠から外されてしまうことになります。

でも、ひょっとしたら、本当に支援を必要としているのは、99%以上の、「優秀でない子供たち」かもしれないのに…です。

極端な言い方をすれば、本当に超優秀な子供であれば、外国の財団がわざわざ支援をせずとも…

自力で国内の奨学金を得たり、自力で受験勉強に取り組んだりすることも、十分可能です。

でも、本当の「落ちこぼれ」たちは、そもそも、

・支援すらもしてもらえない

・海外の財団が、相手すらしてくれない

・スタート地点で、すでにそうしたレールから外れている

…という状況なんです。

ここに、就学支援ボランティア活動の、矛盾があります。

再現性があれば…

「再現性」というものが、今よりももっと重視されるようになれば…

「今年は、Aという村を支援する。ここが成功すれば、来年は、Bの村で活動を始める」

ということが、可能になります。

しかし、現状の支援活動では、

「たった一人の優秀な子」
「たった一箇所の村」

にだけ、重点的な支援が行なわれ、その他の村や村人には、「何の恩恵もない」という状況が生まれています。

また、別の記事でもお話ししていますが、

「たった一人の優秀な子」は、往々にして…

村に戻りません。

都会で仕事をして、都会で子供を産んで、、都会で暮らします。

これでは極端な話、その子を救えても、村は救えないわけです。

できるのはせいぜい、その子が親に送金をして、その親「だけ」が物欲を満たす程度です。

こうなると、いずれ近い将来…

「財団が来てくても、どうせ俺たちには何もメリットがない」

という、財団への不信感を生み…

「財団の支援が、そもそも必要なのか」

という、本源的な問いにも、繋がっていくわけです。

まとめ

今回は、ボランティア活動に不可欠の要素である「再現性」ということについて、考えてみました。

実際のところ、海外の多くの就学支援財団が行なっている、現状の支援方法というのは、

「支援された子が全員成功する」

と、いうよりも、むしろ…

「成功しそうな子にだけ支援する」

というような側面があります。

民族衣装を着た、アカ族とラフ族の子どもたち

もちろん、寄付金には限りがありますから、「全員は無理」というのは当然なのですが、

優秀な子にだけ支援を行なう、という行なうやり方だと、「再現性」がありません。

財団は毎年、優秀な子を探し続ける、という仕事が必要になり、

優秀な子がいない村は、そもそも相手すらしてもらえない、ってことになります。

関わった子どもたちが、残らず全員、幸せになれる方法は、ないものでしょうか…。

それではまた。

次回は、ボランティア活動に必要な2つめの要素である、「継続性」について、お話しをしていきます。

⇒【中編】へ続く