「アカ族の宗教は、キリスト教なんですか?」
というのも、ゲストの方からよく聞かれる質問です。
実は、これはなかなか微妙な問題で、
「そうです」とも言えるし、「違います」とも言えます。
今回は、「タイの少数民族の宗教」というテーマについて、少しお話をしていきます。
村単位である
今回のテーマを考えるにあたり、最も重要なポイントは…
宗教が、村単位になっている、という点です。
要は、「1村1宗教」ということです。
「村の半分が仏教徒で半分がキリスト教徒」
みたいな状況は、あんまりありません。
うちの村に限らず、東南アジアの、こうした少数民族の集落では、
全般的に、「宗教は村単位」という認識があります。
■ ■ ■
例えば、
仏教の村であれば、村にはすでにお寺があって、村人は、半自動的に仏教徒になります。
そして、キリスト教の村であれば…
教会が建てられて、村人は、半自動的にキリスト教徒になる…ということです。
私が住んでいる村には、キリスト教の教会が建てられていますから、
特に抵抗をしない限りは、村人は「みんなキリト教徒」という認識です。
冠婚葬祭を行う
日本人の感覚だと、「村単位で宗教が決まっている」というのは、違和感を感じるかもしれません。
これには、「冠婚葬祭を行うための互助システム」という側面があります。
要は、
「お葬式をするためには、何かしら宗教が必要になる」
ということです。
■ ■ ■
日本では、「無宗教の結婚式」「無宗教のお葬式」というものも一般的になってきましたが、
それは、文化的に成熟した国でのみ、可能なことです。
発展途上国では、やはり、冠婚葬祭には、必ず何かしら宗教がつきものです。
この場合、もしも…
「村の半分が仏教徒で、半分がキリスト教徒」
というような状況だと、どうなるか。
葬式には、常に村人の半分しか参列しなくなってしまいます。
「村のみんなで葬式をする」
という伝統を維持するためには、村人の宗教がバラバラだと、具合が悪いんです。
■ ■ ■
「村人全員が同じ宗教」というのは、山村では、かなり重要なポイントです。
その1つは、「人手」です。
特に、アカ族の場合は、火葬ではなく、土葬ですから、
「穴を掘って埋める」ための作業で、結構な人手が必要になります。
この人手を確保するのが、「同じ宗教のコミュニティー」というわけです。
■ ■ ■
また、人手以外に、「お金」の問題もあります。
日本で言うところの、「お香典」にあたるものが、タイにもあります。
村人が全員同じ宗教だと、毎回の葬式の参列者は、村人全員ですから、
「参列者の数を、毎回同じ」にできますよね。
こうなると、毎回の葬式で、「一定額のお香典」を、全員が確保できます。
これは、「お葬式にお金がかかる」という問題を解決する方法としては、けっこう理にかなっています。
こうしてみると、
「宗教は村ごと」というシステムは、なかなか十分に機能しているわけです。
■ ■ ■
以上のような理由から、
私の住んでいる村にも、教会があり、村人のほぼ全員が、キリスト教です。
でも、これは…
「うちの村では、キリスト教を信仰しています」
というのとは、ちょっと違います。
要は、
別に「信者」ってほどではない、ということです。
実情としては、ただの「寄り合い」に近いものです。
なので、「キリスト教を信仰しています」というよりは、むしろ…
「村では、葬式と結婚式を、キリスト教式で行なっています」
と言ったほうが、正確かもしれません。
でも、それしきの信仰なのに、
「伝統文化を捨ててしまった」
というのは、あまりにも、得るものが少なく、失うものが大きすぎる、と思うわけです。
(つづく)