タイの山岳民族の村にはキリスト教の教会がある①

「アカ族の宗教は、キリスト教なんですか?」

というのも、ゲストの方からよく聞かれる質問です。

実は、これはなかなか微妙な問題で、

「そうです」とも言えるし、「違います」とも言えます。

今回は、「タイの少数民族の宗教」というテーマについて、少しお話をしていきます。

村単位である

今回のテーマを考えるにあたり、最も重要なポイントは…

宗教が、村単位になっている、という点です。

要は、「1村1宗教」ということです。

「村の半分が仏教徒で半分がキリスト教徒」

みたいな状況は、あんまりありません。

うちの村に限らず、東南アジアの、こうした少数民族の集落では、

全般的に、「宗教は村単位」という認識があります。

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例えば、

仏教の村であれば、村にはすでにお寺があって、村人は、半自動的に仏教徒になります。

そして、キリスト教の村であれば…

教会が建てられて、村人は、半自動的にキリスト教徒になる…ということです。

私が住んでいる村には、キリスト教の教会が建てられていますから、

特に抵抗をしない限りは、村人は「みんなキリト教徒」という認識です。

冠婚葬祭を行う

日本人の感覚だと、「村単位で宗教が決まっている」というのは、違和感を感じるかもしれません。

これには、「冠婚葬祭を行うための互助システム」という側面があります。

要は、

「お葬式をするためには、何かしら宗教が必要になる」

ということです。

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日本では、「無宗教の結婚式」「無宗教のお葬式」というものも一般的になってきましたが、

それは、文化的に成熟した国でのみ、可能なことです。

発展途上国では、やはり、冠婚葬祭には、必ず何かしら宗教がつきものです。

この場合、もしも…

「村の半分が仏教徒で、半分がキリスト教徒」

というような状況だと、どうなるか。

葬式には、常に村人の半分しか参列しなくなってしまいます。

「村のみんなで葬式をする」

という伝統を維持するためには、村人の宗教がバラバラだと、具合が悪いんです。

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「村人全員が同じ宗教」というのは、山村では、かなり重要なポイントです。

その1つは、「人手」です。

特に、アカ族の場合は、火葬ではなく、土葬ですから、

「穴を掘って埋める」ための作業で、結構な人手が必要になります。

この人手を確保するのが、「同じ宗教のコミュニティー」というわけです。

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また、人手以外に、「お金」の問題もあります。

日本で言うところの、「お香典」にあたるものが、タイにもあります。

村人が全員同じ宗教だと、毎回の葬式の参列者は、村人全員ですから、

「参列者の数を、毎回同じ」にできますよね。

こうなると、毎回の葬式で、「一定額のお香典」を、全員が確保できます。

これは、「お葬式にお金がかかる」という問題を解決する方法としては、けっこう理にかなっています。

こうしてみると、

「宗教は村ごと」というシステムは、なかなか十分に機能しているわけです。

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以上のような理由から、

私の住んでいる村にも、教会があり、村人のほぼ全員が、キリスト教です。

でも、これは…

「うちの村では、キリスト教を信仰しています」

というのとは、ちょっと違います。

要は、

別に「信者」ってほどではない、ということです。

実情としては、ただの「寄り合い」に近いものです。

なので、「キリスト教を信仰しています」というよりは、むしろ…

「アカ族の村には、集会所として協会があります」
「村では、葬式と結婚式を、キリスト教式で行なっています」

と言ったほうが、正確かもしれません。

でも、それしきの信仰なのに、

「伝統文化を捨ててしまった」

というのは、あまりにも、得るものが少なく、失うものが大きすぎる、と思うわけです。

(つづく)

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