毎年5月から6月にかけて、うちの地元では、パイナップルのたたき売りが行なわれます。
この光景は、今や雨季の恒例となりました。
この時期、地元のパイナップルの価格は、なんと1ケタ。
最も良いA級品で、1個5バーツ。
B級は3バーツ。
C級はなんと、
1個2バーツ(約7円)です。
もはや、タダ同然ですよね。
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一応、5月の中ぐらいまでは、1個10バーツで売られていたんです。
でも、あまりにもパイナップルが飽和しすぎて、誰も買わなくなり、
1個7B、1個5B…という風に、どんどん値段が下がっていきました。
そして今週、気が付けば、1個2バーツにまで値下がりしていました。
こうなると、価格なんて、あってないようなものです。
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そのため、我が家では…
毎年この時期になると、毎日のようにパイナップルを食べます。
なにせ、袋入り入りのスナック菓子を買うよりも、
パイナップルを1つ買った方が安く、栄養もあるのですから。
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さて、
この状況は、消費者には嬉しいことこの上ないのですが、
生産者にとっては、なかなかの苦境です。
地元の農家たちは毎年、
「大量に余ったパイナップルを、どのようにして現金に換えればよいか」
ということに頭を悩ませ続けています。
中には、借金をしてパイナップルの苗を購入した農家もあり、これでパイナップルが売れなくなると、
借金が返せないばかりか、毎年の栽培の経費で、ひたすら赤字が続くことになります。
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でも、
どうして、こんな事になってしまったのでしょうか。
理由は明確で、
山の人々が、特に深い考えもなしに、衝動的に「換金作物」に手を出してしまったからです。
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「山の貧しい人たちは、経済的自立のために、換金作物を植えるべきである」
というのは、今から20年ほど前、金科玉条のごとく言われてきた言葉です。
でも、それはあくまでも、「さばくためのマーケットが十分にある」という前提があってのことです。
今のように、マーケットが飽和して、パイナップルが売れなくなると…
換金作物なのに、換金できなくなってしまうんです。
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しかも、「現金を得るため」と称して、換金作物を植えたことにより…
その代償として、山の人たちは、米や野菜を、植えなくなりました。
こうなると、これまで自給できていた米や野菜を、わざわざ現金で買わないといけなくなります。
しかし、パイナップルが売れなくなれば、米を買うこともできません。
これはまさしく、貧困が引き起こす、負のスパイラルです。
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実際のところ、
多くのアカ族の農家が、現金収入に目がくらみ、右へならえとばかりに、換金作物の栽培を一斉に始めた結果…
今や、どこの村でも、換金作物が大量に余ってしまっています。
こうして、冒頭の「パイナップル1個2バーツ」という状況が、生まれているわけです。
このままいくと、いずれ、「パイナップルはタダでも売れない」という状況になってしまいます。
これは、「商品作物・換金作物」というものに内在する、最大の問題点だと言えるでしょう。
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この状況だけを見た外国人は、次のように言います。
「おお、米を買うお金もないのか、よし、恵んであげよう」と。
でも、お金がなくてお米を買えないなら…
本当は、パイナップルなんかやめてしまって、お米を植えれば、それで済む話なんです。
「紙幣がないから貧しいのではなく、
紙幣を得ようとして貧しくなった」
というのが、東南アジアにおける、貧困問題の実態だと私は考えています。
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そもそも、一般のアカ族にとって、パイナップルはただの「おやつ」です。
主食にならないのはもちろん、おかずにすらなりません。
パイナップルが大量に取れたところで、自分の家で食べ切ることもできず…
たとえタダ同然でも、売る以外に、使いみちがないんです。
だったら、「自分が食べたいもの」「自分が使うもの」を植えておく方が、よっぽど、理に適っていると思いませんか?
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まとめると、
自分が食べるものを植える
⇒最低限食べていける
換金作物を植える
⇒売れなければ食べていけない
ってことになります。
換金作物とは、言い方を変えると、「紙幣」を軸にした農業です。
「どんな作物を植えるか」は、得られる紙幣の枚数によって決められます。
でも、そもそも、アカ族の人たちは、
紙幣なんかなくったって、これまでずっと、たくましく生きていたんです。
一度、紙幣を得るための生活を始めてしまうと、衣食住が完全に紙幣に依存してしまうことになり、
結果として、「紙幣がないと生きられない」ということになります。
あり余るほどの大自然と、生活の知恵があるのに、です。
これは、資本主義経済の最大の矛盾です。
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そういうわけで、我が家では、換金専用の作物は植えていません。
家族が食べるための米や野菜、建築で使う竹や藁などを植えるだけでもう手一杯で、
紙幣のためだけの作物なんて、植えている暇がないからです。