2018年7月2日夜、タイの洞くつで10日間行方不明になっていた、コーチとサッカー少年たち13人が、無事発見されました。
何とも素晴らしいことです。
でも、このニュース、もちろん、発見されたことは大いに喜ぶべきことなんですが、
どうにも「モヤモヤが残る」という人も、実は、少なからずいました。
でも、タイでそういうことを口にすると、「炎上」してしまいますから、
「わざわざ言わない」ってだけのことなんです。
「モヤモヤ」の正体、それは、一言で言うと、「報道が偏りすぎている」という点です。
基本、タイのニュースでは、「被害者にも非がある」というタイプの報道は、あまりなされません。
世界中から元気を送ろう!
発見できた!
良かった!」
それの一辺倒です。
もちろん、「発見できて良かった!」というのは、紛れもない事実です。
でも、「報道」ということから言えば、
やはり、あまりにも「偏り過ぎている」と言えるわけです。
「良いことだ」という報道がある一方で、「良いことではない」という人もいるからこそ、人々は、自分で考える力が培われるわけです。
しかし、現在のタイのように、「報道は1つの意見だけ」という状態になってしまうと、自分の脳で考える力が、いつまでも身に付きません。
実際のところ、このニュースには、
・そもそもなぜ、大人が付いていながら、大人も一緒になって洞窟に迷い込んでしまったのか
・そもそもなぜ、保護者たちも洞窟のことを知っていながら、チーム側に文句を言わなかったのか
・FBで拡散されていなかっただけで、同様の失踪事件はタイで頻発しているのではないのか
…などなど、
掘り返していけば、様々な矛盾が浮き上がってきます。
でも、そういったことは、一切報道されません。
「感動の救出劇」そればっかりです。
でも、本来であれば、重要なのは「再発防止」ですから、
「そもそもなぜ、そんなところに入っていったのか」という点は、非常に重要なのですが、
でも、タイでは、そういうことを口にする人は、ほとんどいません。
結果的に、「奇跡の救出劇」みたいなところばかりがクローズアップされて、
本来の問題が、ぼやけてしまうんです。
こうなると、また類似の事件が起きてしまいます。
今回、なぜこういうことを書こうかと思ったかというと、
私のタイの友人で、「子供が同じサッカー部に所属している」という人がいたからです。
彼女によると、チームの保護者の何人かは、
「子供たちが、入っていはいけない洞窟のエリアに、複数回、遊びに行っていた」
ことを、知っていたそうです。
それで、家庭によっては、
親:そんなとこ、もう行っちゃいけないよ!
子:うん、わかってる
というやりとりがありました。
つまり、今回、洞窟へ遊びに行ったサッカー部員のなかには、
「自主的に『行かない』を選択した子供も、けっこういた」
ということなんです。
「サッカー部員が全員、強制的に洞窟へ行かされた」のではなく、危機を事前に察知して、行かなかった子も大勢いた、ということです。
だったら、洞窟の事実を知って、「我が子に洞窟遊びを禁止した」母親たちこそ、今回の事件で最も尊い人たちではないのか、と思います。
逆に言えば、今回行方不明になっていたメンバーは、
親や友人たちからの忠告を無視して、あるいは親に黙って、自ら、危険なことをした子たちである、ということです。
私は、これらの点は、もっと注目されても良いと思います。
もちろん、今の日本のように、何でもかんでも「自己責任」を言ってしまうのは、あまりにも行き過ぎだとは思います。
でも、その反対に、今のタイのように、
・話が盛り上がって、みんな感動してるなら、それでOK
みたいな風潮も、これはこれで、あまりにも行き過ぎだ、と思うわけです。
その結果、今回のニュースがタイで「美談」みたいになって、
「美談だから、それ以外の矛盾点にはフタをする」
という世論になってしまうのは、どうもモヤモヤするなぁ、と、感じている次第です。
少なくとも、
我が子には、こういう無謀な行為の真似をしてほしくはありませんし、
また、物事の本質を見失って、見た目や話題性だけに振り回されるような人間には、なってほしくありません。
やはり我が子には、今回の件を教訓として、
「美談」とか「奇跡」とか、そういうことよりも、
「よそ様に迷惑をかけるようなことはしない」
「大人の言うことを聞く」
「危機を事前に予測する」
…などを、教えていきたいと思っています。
逆に言うと、今回のニュースは、タイ人が、そういうことを学ぶべき機会ではないかな、と思います。