アジアアフリカの超マイナー言語あるある①聖書

『超マイナー言語あるある』

ここで言う「超マイナー」というのは、「ラオス」とか「ミャンマー」とか、そういうマイナーな国語ではありません。

それらは「マイナー言語」であって、「超マイナー」ではないからです。



では、「超マイナー言語」とはどんな言語かと言うと、

・ラオスの中の、多数派のラオ族以外の、少数民族が使っている言語

・ミャンマーの中の、多数派ビルマ族以外の、少数民族が使っている言語

これらが、「超マイナー言語」です。



つまり、ただでさえ「マイナー言語」と言われている国の言語の中でも、さらにもっとマイナーな言語のことを、

「超マイナー言語」
と呼んでいるわけです。



さて、前置きが長くなりましたが、

このブログで紹介している「アカ語」という言語も、

決してメジャーではない「タイ」という国のさらに少数民族のアカ族が使っている言葉ですから、

アカ語は当然、「超マイナー言語」というくくりになります。



今回は、そうした「超マイナー言語のあるある」のお話です。



「超マイナー言語のあるある」、
それは、

語彙集や文例集が、
ほとんど聖書からの引用

というもの。

意外に思われるかもしれませんが、

これは、アジアアフリカなど、様々な少数民族の言語に共通する「あるある」です。

アジアアフリカと、キリスト教聖書。

一見すると、関連がなさそうに見えますが、この2つは密接に関わっています。

こうした超マイナー言語では、
そもそも「書物」という概念がありません。

「本がない」どころか、そもそも本を書くための「文字がない」というケースが多いからです。



そうした状況にあって、ほぼ「唯一」と言える書物が、「聖書」なのです。



キリスト教宣教師は、少数民族のもとへ、布教と支援を同時に持ってきます。

そして、宣教師たちが民族を「発見」すると、

何よりもまず、聖書をその言語に翻訳する、というプロセスがあるのです。

このスピードは、まさに圧倒的な速さで、目を見張るばかりです。



戦後、アカ族のもとへキリスト宣教師たちがやってきて、

その後わずか十数年ほどの間に、聖書が完成しています。

こうなると聖書は、アカ語で書かれた「一番初めの本」ということになり、

また、当分の間は、「唯一の書物」ということになります。



このため、西洋人が書いたアカ語の文法書のようなものを見ると、

けっこうな割合で、例文が「聖書の一文」だったりします。

これは何も、「著者がクリスチャンだから」というだけの理由ではなく、

「そもそもアカ語で書かれた書物が、唯一、聖書しかないから」

という現状に由来しているわけです。



そして、アカ族に限らず、タイの少数民族であるラフ族やリス族、

その他、アジア・アフリカの様々な民族で、この傾向は共通しています。

それぞれの民族の言語で聖書があり、礼拝も、その民族の言語で行なわれています。



こうして、聖書はその民族にとって唯一の書物となり、その言語や文字、文法を学ぼうとする者は、

否が応でも、聖書の例文から、文法や単語を覚えなくてはならない、ということなのです。



でも……

「アジアアフリカの言語なのに、
 語彙や例文を聖書ベースで学ぶ。」

これって、かなり不自然なことだと思いませんか?

そもそも、彼らアジアアフリカの少数民族にとって、

キリスト教というのは、全くよその宗教です。

うちのアカ族にとっても、聖書の記述は、完全によその国の物語です。

それなのに、聖書がアカ語で書かれ、賛美歌を歌い、アカ語の聖書をもとに、アカ語の文法や正書法を学ばねばならない……

私はこういう状況を見るにつけ、ずいぶんと違和感を覚えるわけです。