前回の【日本語ボランティア】の記事で、
「タイの少数民族の子供たちに日本語を教えるボランティアは、本当に意味があるのか」
ということについて、ご紹介しました。
そして、「現状では、日本人が教えたいことと、子供たちが教わりたいことの需要と供給が釣り合っていない」というお話をしました。
今回は、その続編です。
タイの公立学校で教鞭をとるYさんのエピソード
私がこの話をするときに、必ず思い出す1人の日本人、Yさん。
彼は、少数民族の子供たちが多く通う、タイの公立小学校で、授業をしています。
…と、ここまで聞くと、
「ああ、タイ子供たちに、日本語を教えていらっしゃるんですね」
って、思いますよね。
実際、Yさんも、日本人から毎回そのように聞かれるそうです。
しかし、そうではありません。
実は、Yさんは、
子供たちに、
「英語と算数」を、
教えているんです。
タイの教育事情
「でも、日本人が、英語と算数を教える必要があるの?」
と、考えた人は、まだタイの教育事情のことを、よく知らない人です。
タイの学校で行なわれている勉強は、はっきり言って、ただの「クイズ大会」です。
日本の学校で重視されている、
「暗記」や「反復練習」が、
タイでは、ほとんど重視されていません。
そしてこの傾向は、田舎へ行けば行くほど、強くなります。
つまり、タイの田舎の学校では…
●先生は授業の内容を一回話せば終わり。
●生徒が理解して、覚えたかどうか、ということは、あまり気にしない。
●テストは全て選択問題で、ただのクイズ大会。
●生徒は、問題と答えをセットで覚える
…というのが、現代のタイの教育現場で、実際に行われていることです。
つまり、一言で言うと、タイの田舎の子供たちというのは、
「机に向かってちゃんと勉強していない」
「勉強の大切さを誰からも教わっていない」
ということなんです。
そして、この状況を打破しようと、日本人ボランティアとして、タイの少数民族の子供たちに、英語と算数を教えているのが、
今回ご紹介している、Yさんなんです。
しかも、もちろん無償です。
結果として、Yさんに英語と算数を教えてもらった、タイの少数民族の子供たちは、
暗記と反復練習とがベースになった、日本式の勉強方法を、身に付けることができます。
こうして、各自が自分のやり方を覚えて、自分で勉強して、
自分の力で、高校・大学へと進学していくわけです。
タイの官庁からも、表彰された
Yさんが、このようにして、タイの田舎の公立小学校で、子供たちに英語と算数を教えて、はや10年になります。
その甲斐あって、先日、タイの地元の官庁が主催するイベントで、
Yさんには、日本人で初となる、表彰状が授与されました。
ひょっとしたら、あなたはこれを聞いて、
「えっ、表彰状だけ?」と思ったかもしれませんが、
実は、これって、かなり「すごいこと」です。
タイ人は、あまり外国人を表彰しません。
現に、タイには日本人を始め、数多くの「外国人教師」が、自分たちの語学をタイの子供たちに教えていますが、
私はその中で、「タイの役所から表彰された人」というのを、
いまだに1人たりとも見たことがありません。
なぜモデルケースだと言えるのか
なぜ私が、このYさんのやり方を、「ボランティアのモデルケース」だと考えているか、もうお分かりですよね。
それは、「すべての需要」を満たしているからです。
●自分が教えられること
●彼らが教わりたいこと
●彼らにとってメリットがあること
●周囲もそれを認めていること
…Yさんのボランティアは、これらの条件を、
「すべて十全に満たしている」ということなんです。
そして私は、ボランティアというものは、本来こうあるべきだと考えています。
求められていることを、教えられない時は?
今回のテーマで、もう一つ、言及しておくべきことがあります。それは…
「彼らが教わりたいと思っていても、私が教えられない場合はどうすればいいの?」
という疑問です。
これはおそらく、タイでボランティアを経験した、多くの人が感じていることだと思います。
後から習得して、教えてもかまわない
例えば…、
少数民族の村へ行ったときに、子供たちが、「ミシンの使い方を習いたい」と考えていて、
「ミシンが使えた方が、収入に結びつきやすい」という状況だったとします。
この場合、選択肢としては…
●求められてはいないけれど、自分が教えることができる日本語を、あえて教える
●自分はミシンを教えることができないけれど、練習して習得し、子供たちに教える
の2つが挙げられます。
どちらのほうが良いか、もうお分かりですよね。
それは当然、
「今からでもミシンのことを勉強して、子供たちにミシンの使い方を教えてあげること」です。
これが、実情に最も即したボランティアです。
理由は簡単で、
「それが求められているから」です。
このケースで言えば、
●「ミシンの技術」が子供たちに求められていて、
●将来、子供たちにとっての利益になって、
●周囲もそれを望んでいる
という、いわば、理想的な状態です。
そしてなおかつ、外国人が、
「本当に求められているボランティアをしたい!」と考えているなら、
「ミシンを教えるのが一番いい」と、思いませんか?
たとえ、ボランティアの外国人が、ミシンについてはど素人であっても…
努力すれば、最低限の使い方を子供に教えるぐらいはできるはずです。
だったらそのほうが、子供もその親も、外国人も含めて、
全員にとって、一番良いことだと思うのです。
まとめ
今回の記事で、最も伝えたかったこと。それは…
「ボランティアで、タイの少数民族の子供たちに、何かを教える場合は、彼らのニーズや状況を、もっと考慮すべきである」
ということです。
現代のタイ社会では、日本語の学習率は年々高くなっているものの…
それはあくまでも、「中産階級以上」の子供たちです。
タイの最貧困層に属している少数民族の子供たちにとって、日本語の学習とは、まさに
「雲の上のこと」
でしかありません。
にも関わらず、生活に必要な知識や技術などをすっ飛ばして、
いきなり「雲の上の日本語」を教えることが、果たして良いことなのかどうか…
甚だ、疑問を感じている次第です。
今回ご紹介したお話は、もちろん、私個人の意見ですが、
あなたが、今後もしも、
「タイの少数民族の村でボランティアをしてみたい!」
と考えておられるなら、是非、参考にしていただければ、幸いです。
それではまた