タイの少数民族の子供たちが「一番欲しいもの」について考えてみる②

前回、タイの山の子供の多くは、「腕時計」を欲しいと思っている、というお話をしました。

では、それが分かったところで、

「では、時計を買ってあげるべきなの?」となると、話は別です。

タイの学校には時計がない

前回お話ししたように、タイの小学校には、皆が見れるところに、大きな時計がありません。

なので、極端な話、

子供が、学校の先生から、「朝は、7時半までに教室に入っているように」と言われたとしても…

子供には、「7時半かどうか」を確認するための手段がない、ってことなんです。

タイの学校の時計は、壊れていたり、小さすぎたり、電池が切れていたりするからです。

こうなると、タイの山の子供が、「腕時計を欲しい」と考えるのも、自然なことですよね。

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そして、こんなとき、おもむろに自分の腕時計をチラッと見て、

「今、7時20分だぜぇ~」

なんてことを言う子供がいたら…

当然、「カッコイイィィ~」ってなりますよね。

つまり、時計には、「時間を確認する」という価値と、もう1つ、

「豊かさの象徴」的なところもあります。

お金や物が少ない、タイの僻地であれば、なおさらです。

…これが、タイの山間部の少数民族の子供たちが、「腕時計を欲しがる」最大の理由です。

本来は役所の仕事

以上は、「タイの山の子どもに、何か買ってあげたい」という日本人が現れた時に、私がよく話すエピソードなのですが…

「じゃあ本当に時計が必要なのか?」

と考えると、そこはかなりクエスチョンマークです。

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なぜなら、

「まずは、学校や村役場などが、公共の時計を設置すべきだ」

と、言えるからです。

タイの役所や学校には、毎年、日本では考えられないほど、ケタ違いの多額の予算が支給されます。

バンコクやチェンマイの街を見てもわかるとおり、

タイの役所で、新しいきれいな建物ばかりが増え続けているのは、このためです。

でも、役所にそんなに予算が豊富にあるなら…

「そのお金で、みんなが見れるための、時計を買えばいいじゃないか」

と、思いませんか。

本当に必要なものは?

少なくとも、

「お金持ちの家の親は時計を買って、貧乏な家の子供は時計がなく、外国人に買ってもらう。そして、役所は時計を取り付けない」

この状況は、非常に矛盾していると思うわけです。

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「子供や住民、みんなが見れるような、大きな時計」

を、村の役所や学校が、設置するための予算なんて、タカが知れています。

この投資によって、子供たちは、

「時間を確認する」という貴重な習慣を、身につけることができます。

くだらないコンクリの建物を増やすよりも、よっぽど有意義です。

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以上をまとめると、

タイの山の子供が、「腕時計が欲しい」と言ったからといって、

外国人が安易に買い与える必要はない、と思っています。

1人に買ったら、全員に買わないといけなくなります。

山の子供1人に1つずつ時計を配っていては、費用もバカになりません。

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そもそも、彼らが時計を欲しがるのは、「時間を知りたい」からです。

だったらせめて、1家族に1つ、掛け時計と、電池数個を買ってあげる方が、

子供たちは、家の中でいつでも時間を確認出来ますから、有意義だと思うわけです。

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