アカ族村でコメの収穫を祝う伝統の「新米祭」…でも、なぜか会場はキリスト教教会という矛盾

10月下旬から11月上旬にかけて、米の収穫を祝う伝統のお祭が、各地のアカ族村で開催されました。

アカ語で「新米祭り」といいます。

しかし、これは有名なブランコ祭りとは違い、

「ただみんなで集まって新米を食べる」

という催しなので、見た目の派手さなどは特にないのですが、

季節の変わり目ということもあり、村ではかなり盛り上がるお祭りです。

会費が意外と高い

さて近年、この新米祭りが、「会費」を徴収するようになりました。

会費は、なんと500バーツ。

タイの「恵まれた」日当が300バーツであることを考えると、500バーツは日当の約1.6倍。

日本人の感覚で言えば、約1万円ってことになります。

村のパーティーの参加費用としては、はっきり言って、かなりの高額です。

うちの村だけでなく、私が年始に別の村で参加した新年の祭りでも、

やはり、村人は500バーツを徴収されたと言っていました。

500バーツは、最近のアカ族のパーティー費用の「相場」なのでしょう。

パーティーは持ち込みの方が合理的

しかし本来、こうしたアカ族の伝統的なお祭りでは、「肉以外全て持ち込み」が基本です。

各自が、自分の家でとれたお米や野菜を持ち寄りますから、新しく調達すべきものは、「豚肉」のみです。

村内で誰も豚を飼育していない場合は、よその村から調達する必要が出てきますが、普通は、村で誰かしらは飼育しています。

そうなると、村で食べる豚を、村の中で調達するだけですから、非常に合理的です。

というか、そもそも「収穫祭」なのですから、

「収穫されたものを持ち寄って食べる」というのが、本来は、理に適っています。

それなのに、収穫されていようがいまいが、

「1世帯一律500バーツ」

というのは、少なくともアカ族の山村では、やはり「合理性に欠ける」と言わざるを得ません。

そもそも現金はない

「全員から現金を徴収する」

というやり方は、村人に現金収入があることが前提になっていますが、

現金収入がない家なんて、村では今もザラにあります。

息子娘が出稼ぎをして、仕送りしてもらっている家庭も、世帯主本人は仕事をしていないわけですから、

厳密に言えば、現金収入はゼロです。

それなのに、伝統の祭があるたびに、なけなしのお金を徴収される、という現状。

しかも、会場はなぜかキリスト教会です。

見ていると、パーティーでお金がかかっているのは、圧倒的に炭酸飲料と仕出し料理です。

アカ族の村人たちにとって「炭酸飲料」というのは、まだ珍しい飲み物ですから、あると、パーティーに「高級感」が出ます。

タイ料理の仕出しも、発想は同じです。

なぜか教会が主催

教会が主催する収穫祭の場合、「別の村の教会の牧師を呼び合う」いう慣例があるため、

「パーティーの見栄えを良くしたい」という、これまでになかった風潮も生まれています。

例えば今年、「コップ型のひと口サイズの飲料水」というものを、大量に購入した村もあります。

これなどはまさに「タイ人の真似」の典型です。

コップ型飲料水というのは、タイの役所などで好んで購入されるもので、これまた「高級感」の演出用ツールです。

要は、炭酸飲料も、仕出し料理も、コップ型飲料水も、すべては…

「タイ人がやっているようにすれば、高級そうに見える」

という、見栄のためだけの出費なんです。

つい数年前まで、「米と野菜は持ち込み」というスタイルだったことを考えると…

本当に、馬鹿馬鹿しい出費です。

貧困の村なのに、お金をかけてしまう

こうした風潮は、年々エスカレートしている傾向があり、 

ひょっとしたら、今後は「500バーツでも足りない」なんてことを、

言い出すようになるかもしれません。

しかしこうなると、「パーティーが住民の生活を圧迫する」という事態になりますから、

「一体何をやってるのか」てなもんです。

そもそも、教会が主催するなら…

教会の本部から予算を引っ張ってきて、村人に還元するのが「スジ」だと思うのです。

それに、今も教会には、世界各地の慈善財団から、「教会への寄付」が集められていますから、

こうした寄付を、村人の生活の足しになる事に使うことだってできるはずです。

でも、実情はまるで逆で…

「教会で開催しているせいで、村人はパーティーのたびに余分にお金がかかる」

という、おかしな事態になっています。

伝統文化と外来宗教は、切り離す必要がある

別に私は、反キリストってわけではないんです。

ただ、今回の新米祭のように、「アカ族の伝統文化」と、

外来の宗教である「キリスト教」とは、

本来は、立て分けるべきであると思うのです。

だって、元々、何の関係もないのですから。

でも、祭りの会場が教会であるために、「牧師」が招聘され、祭りの前には「礼拝」が行なわれ、子どもたちは「賛美歌」を歌う…

一体、どこの国の、何民族のお祭りなのか…って感じしませんか?

まとめ

そんなわけで、伝統の「新米祭」一つとっても、その内情は、矛盾に満ち満ちています。

そもそも、「別の村の牧師を招待したい」なんていうのは、完全に「教会側の都合」ですから…

村人には、本来関係はないはずですよね。

それなのに、パーティーの費用はすべて村人持ちで、見栄えを良くして牧師を招待するために、村人に経済的負担を押し付ける…

「やっぱり、何かが間違っている」

と、言わざるを得ません。


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